九十九里浜は、飯岡の刑部岬から太東岬まで、南北57.9キロメートルもあり、砂地の海岸です。砂地のはばは、200メートルもある弓の形をした海岸です。
そして、黒潮が九十九里の沖を通るため、水温や、塩分の濃さが、イワシの住むのに適しています。また、えさになるプランクトンも、たくさん繁殖しています。そのため、江戸時代からイワシがたくさんとれ、我が国第一のイワシの漁場でした。
かくれ岩のある飯岡などでは、八手網を使う漁法が発達しました。三川(飯岡町)から東浪見(一宮町)までの海岸は海底が平らで遠浅なので、浜近くの村々では、昔から地引網が発達しました。
海岸から2キロメートルも離れた貝塚からマイワシや、カタクチイワシなどの骨がみつけられている所をみると、大昔から漁獲が行われてたことがわかります。しかし、九十九里浜のイワシが、我が国で、最高の漁獲高をほこり、全国の漁獲高の三分の一をしめるようになったのは、そう昔のことではなく、江戸時代以降なのです。それ以前は、生活の上からも、産業としても、あまり、重要ではなかったのです。それが、江戸時代になって、盛んになったのは、イワシを肥料や食料として、たくさん求めるようになってきたからです。
肥料としては、イワシで作った干鰯(ほしか)しめかすが用いられましたが、干鰯は、イワシを砂浜で、天日でかわかして作りました。これは、江戸時代の始めから作られていましたが、盛んになったのは、江戸時代のなかごろからです。これらの干鰯は、江戸はもちろんのこと、東北地方や関西方面まで送られました。
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